What Quants Don’t Learn at College.

What Quants Don't Learn at College. (By Emanuel Derman) *1の要約 



【1】 確立された法則はほんのわずかしかない

 ファイナンスの世界では、物理学のように、真理として確立された法則・方程式(例えばマクスウェル方程式とかナビエ・ストークス方程式のようなもの)はほとんど存在しない。唯一といってもよい法則(近似的類似性の法則と著者が呼ぶもの)は、ある証券の価値は、その証券と将来のペイオフがほとんど等しくなるような証券の価値が最良の推定値である』、というものだ。あなたは、2つの証券の間の類似性を、将来のさまざまな可能性の下でペイオフが等しくなると示すことによって、関係付けるモデルを発見する必要に迫られるだろう。ファイナンスが難しい数学を含むのは、将来のシナリオを記述するための方法を必要としているからだ。
【2】 時には懐疑を心の奥にしまう

 上の法則による限られた助けしかない状況でも、類似性に関する自分のモデルに真剣に取り組まなければいけない。いくつか解決できない疑問にぶち当たっても、時にはその解決を先送りして前進しないといけない。そしてモデルが完成したときに再びその疑問に立ち戻り、複雑な人間の行動をモデル化しているという事実を思い起こし、モデルが当てはまらない状況について懸命に思索を巡らせよう。
【3】 難しい数学によって推論を先に進めすぎるな

 金融モデルにおいて数学の役割は極めて大きい。が、核心ではない。経済学やファイナンスの目的が実用にあるという目的を忘れるべきではない。そして、それらは複雑な現実世界を取り扱っているのであるということも。
【4】 モデルを勉強することは出発点に過ぎない

 私がかつて新しい人を雇いたいと思ったとき、大概はヘッドハンターから履歴書を送って貰っていた。そして多くの履歴書には、「私は、HJMを知っています。BKを知っています。VARを知っています。extreme value theoryを知っています。云々」という文句が並んでいる。しかし、私が望んでいる能力はそんな百科事典のような知識を持っている人ではない。素晴らしく頭の回転が速い人でもない。それらは素晴らしい能力ではあるのだが。

 私が望んでいる人は、自分が勉強してきた有名なモデルというものが神聖不可侵な教典ではなく、それらはこれから考えを進める出発点に過ぎないことを理解している人だ。習ってきたモデルをいじり回し、間に合わせの修繕をすることを恐れない人、そしてそこから新たなモデルを発明してやろうとしている人、そんな人を希望していた。トレーディングデスクで実際に使われているモデルというものは、計算速度を上げるために近似されてたり、実世界の特異性を考慮するために修正され、時に標準的なモデルの前提と整合的でないような自家製モデルだ。モデルは神聖なものではない。あなたは日々、良く知られたモデルについての経験則を積み重ね、モデルと格闘し(モデルを汚し)続けなければならない。
【5】 データそれ自身に意味はない

 データそれ単体では何の意味も持たない。人はそれから考え、理論化しなければならない。

 フィッシャー・ブラック*2はかつてこう書いていた:
『私が理論というものがデータよりはるかに強力なものだと気づいたのは、期待リターンを推定する問題に取り組んでいた時だ。・・・(略)。私が実証研究に関する論文を読むときはいつもデータの表などは無視し、その論文が主張する理論面の記述を探す』

 チャールズ・ダーウィンも同じような思想を持っていたようだ:
『地質学者の仕事は観察することだけであって、理論などというものを作るのは間違っている、というような考えが30年ほど前には言われていた。それに対してある人が言った、そんな調子で進めていけば、地質学というものが膨大な種類の種子を収集したり、小石の類を分類したり全ての色に名前をつけたりに終始する学問になってしまうだろうという意見を強く憶えている。私にとって観察というものが意味を持つのは、ある仮説を支持する/反対する根拠として観察結果を使おうとしている場合だけだ』

 それゆえ、あなたは仮説を持ち、理論を作るようにしなさい。データというものは理論を支持するか棄却するために外部世界から取り寄せるものだ。理論は、あなたの内部から生まれる。
【6】 高望みを捨てる

 純粋に熱心な学生から、もし究極のモデルが発見されたときなにがおこるのかという質問を受けることがある。しかしながら、ウォールストリートでは何が正しいモデルなのか誰も知らない。彼らはただ前進し、価格付けをし、トレードする。Black-Scholesモデルができてから30年になるが、いまだにその正当性についての議論は絶えない。しかし最近、Steve Figlewskiが、原理の裏づけのないモデルというものは、Black-Scholeモデルよりさらに悪いものだと主張している。実務家は、単なる Black-Scholesモデルを当然に正しいものとして使用することはあまりなく、むしろ、それは現実の近似的な(摂動的な)様子を合理的に考えられるためのフレームワークとして利用されている。

 実際の仕事では、あなたのモデルをバックテストするための20年分のデータなどないし、仮にあったとしても、20年前には株式のボラティリティスマイルは存在しなかったし、5年前には金の価格のボラティリティスマイルも存在しなかった。それゆえ、20年前のモデルと5年前のモデルは違ったものになりうる。ボラティリティスマイルが誕生して15年も経つのに、いまだその標準モデルが存在しないという現実は、われわれの存在の小ささを思い出させる。結果として、ファイナンスの価格付けを行う際にわれわれは、なにが意味あるかについての自分固有の判断にしたがう実存主義者にならざるを得ない。モデルの神はいないし、神の究極のモデルをカリブレートするためのデータもないのである。
【7】 モデルというものは、強力な販売ツールである

 モデルというものが裁定の機会を手に入れて儲けるためのものだ、と想像するかもしれない。時に、それは正しい。しかし、それと同じくらい顧客や取引先との仕事にも意義がある。モデルというものは、世界をどう見るかという視点を与える。もしも、あらゆる人にあなたの方法で世界を見るようにさせることができれば、あなた視点で彼らに物を売ることができる。これは嘘をつくということではない。これは、金融資産価値の本質がぼんやりとし、複雑であることの結果である。あなたがプライスにもっともらしく与える秩序は、投資家にとって大いに役立つものである。たとえパーフェクトヘッジができなかったり、満期まで保有できなかったものであっても、大きな価値は精神上の影響にあるのである。
【8】 ソフトウェアは尊敬に値するものだ

 アカデミックな研究者はしばしばモデルを強調するが、モデルの成功の大きな部分はソフトウェア工学に依存している。概念的により高度なモデルを構築することは、そんなに難しいことではない。しかし、それをどうやって使うのか? あなたは市場のライブデータや、過去の時系列データ、データベース、入力用のインターフェイスキャリブレーションが必要になる。結果として、ファイナンシャルエンジニアがモデルを使えるようにするために、3〜4人のソフトウェアエンジニアが必要になる。現在のマーケットにおいて、モデルとソフトウェアの間にはあいまいな境界しか存在しない。
【9】 形式は重要

 アカデミアでの生活において、内容だけが大事なことなんだと信じたがる人は多い。しかし、本当に驚くような真理であれば、たとえどんなに控えめな説明であったとしても、自然に人々に受け入れられていくことは真実であるかもしれないがそれでも、大学世界においてさえなお形式は重要である。テニュア(永久在職権)を得るためにどのように承認された論文誌に承認されたスタイルで論文を投稿したかを、いくばくかの後悔と誇りを持って話すファイナンス専攻の教授は多い。また、異なる証券の間の類似性を説明するために、あるいは、予測よりも比較のためにモデルを使う場合、人々に訴えかける説得力は重要になる。

 フィッシャー・ブラックによれば、
「最終的に理論が受け入れられるのは、伝統的な統計テストによって裏付けられた時ではなく、理論が正しく今日的に意味があると説得された時である」

 したがって、あなたがモデルを作ったときは、そのモデルを、言葉によって、説明しないといけない。それができるまでは、そのモデルを理解しきっていないということだ。*3
【10】 ファインマンフロイトの間

 人が計量ファイナンスを実務で利用する時に最も学ぶ必要のあることは、どのように理論的な知識のすきまを実務の常識で埋め合わせていくかということである。アリストテレスは、著書二コマコス倫理学において、人は対象に適した正確性の度合いを選ぶべきだと主張した。彼は倫理学を想定していたが、同じことは計量ファイナンスにおいても成り立つ。思いもよらないような、将来の大革命でも起こらない限り、このような中庸的な立脚点を見つけることは、実務家にとっての最も大事な目標になるだろう。人は、具体的過ぎもせず抽象的過ぎもしない、行動ファイナンスと計量ファイナンスの間というか、科学と心理学との間というか、ファインマン*4フロイトの間のスペクトルから、適切な部分を選び取ってくる方法を学ばなければならない。




*1:From Dr.Derman's Page

*2:http://cruel.org/econthought/profiles/black.html

*3:通常人々が理解に用いる、言語という理解形式を尊重しなさいということだと思われる

*4:wikipedia.org/wiki/リチャード・P・ファインマン